ドラコーラス

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学びは自分を変える?論語の一節より

ひょんなことから論語の本を手にとりました。あんまりこういうの読まないんですけどね。まあ古きを経ていまだに語られるものですからね、そこから学べることは大いにあると思いまして。今日はある一節を紹介したいと思います。

 

朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

『論語』

 

「新たに家庭を持ったり、ガンの宣告を受けたり、大事な試験に落ちたり」といった出来事によって、今まで全く考えなかったもの(道端の草木への気づき、車や周りに流れる音楽、風が皮膚を伝う感触、水の冷たさ)を感じることがあるかもしれない。

 

今まで勉強しなかったのに勉強をしてみると今までなんで勉強しなかったのかなぜ努力してこなかったのかというのを考えるかもしれない。

 

だが、自分は昨日までどういう気持ちで見ていたか、捉えていたかと考えても、自分が変わってしまっているから本当の意味では思い出せない。

これはつまり過去の自分はそういう意味で死んでしまっているわけです。生まれ変わって前までとは違う新しい自分になっている。

学問をするということは、それを絶えず繰り返していくことなんだと。

 

突き詰めていくと本当にものを学ぶということはそういうことなのだから、この言葉の意味は、「朝ものを学んで、夜になって死んでしまってもいまさら驚くことはないだろう」ということである。

 

自分がなくなってしまうんですよね。

 

ある人に聞いた話によると「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」も鐘の音はいつでも同じなんだと。(急に物理の話になるが振動数が同じであるから音の高さは同じである)毎回違って聞こえるのは聞いている人が変わっているからなのだと。

 

ただ自分は常に変わっているという自覚はなかなか持てないから

 

昔論語の話を聞いてもふーんって感じで流してしまったと思うので今の自分も昔とは違うんだなと感じます。

 

まとめ

まあこんなこと言っていますが自分もまだまだこの境地には達していません。というか固い文章はなかなか自分でも馴染めないですね。一歩ずつ自分を変えるために学びを続けていきましょう。それではこのへんでドラドラ〜